蜷川実花「地上の花、天上の色」展@東京オペラシティアートギャラリー

ちょっと自分にとって宿題になっていることを書いておきたい。それは去年のクリスマスに寄った蜷川実花展での彼女の最新作「Noir」がとてもよかったって話。

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展覧会全体としては、ファッション分野での仕事も含めた過去作品+新作という構成。花や金魚のお馴染みの極彩色のカラープリント、デビュー当時のセルフヌードポートレイト、外国旅行の写真、そして一般的には最も人気の高いだろうファッション分野での一連の仕事。僕もそこそこの年齢なので、これまでのそういった仕事をほぼリアルタイムで見てきたけれど、個人的には蜷川実花の写真はずっと好きになれないままでいた。たとえその”天上の色”が”色”の論理によって組織される様が、遠くヴォルフガング・ティルマンスの”色”に響いているとしても。

でも、この日はひとつの”引っかかり”があった。1995〜2002年に発表された初期作品のブースを見ていたときに、彼女自身によってポップにデコレーションされた写真の額縁に目が止まった。細かいところは忘れたけれど、それは十字架をモチーフとして使った額縁だった。ポップでかわいくデコレーションされた十字架の中に収められていた写真。それを見たときに”小さな死の弔い”という言葉が思い浮かんだ。これは後になって考えたことだけど、”小さな”とは、”ポップでかわいくすること”で死に対処する彼女の身振りを指したものだった。彼女は写真を撮ることで、”小さな死の弔い”を繰り返しているのかもしれない。。

そう思うと、”ポップでかわいいもの”として撮られた宗教的モチーフの写真が彼女には多くあること、そしてまた、小さなコンタクトプリントをアクリル加工して所狭しと並べたインスタレーションも、文字通り”小さな死の弔い”の具現化した形として見えてきたし、造花を撮影したコンセプチュアルな「永遠の花」のシリーズは、ほとんど宗教画のように見えた。

新作「Noir」をみておそらく誰もが気づくのは、色彩がナチョラルになっていることだと思う。*1しかもどちらかと言えばアンダー目に焼かれたプリントで、見た目の印象も”暗い”色になっている。そしてモチーフと構成の微妙な変化。豚肉や鶏肉、蝶の標本などの「死んだ」生き物たち。小さな人形やおもちゃなどの「生きていない」物品たち。ひよこや猫の赤ちゃんなど小さくて「生きている」生き物たち。この小さな生き物たちの中で、蜷川実花にとってモチーフであり続けてきた金魚や花の写真も捉え直されることになる。

”死んだ”モノも、”生きていない”モノも、”生きている”モノも、新作「Noir」の中では、等しく命を「たくわえて」いる。そんなふうに思った。

もちろん「写真の中ではすべては等価である」なんて紋切り型をいまさら繰り返したいワケじゃない。それまでの彼女の写真に見えていたものが、”小さな死の弔い”によって”さよなら”している彼女自身の身振りだったとしたら、「Noir」に見ることができるのは、写真の中でささやかに讃えられた”小さな生”のほうだ。さよならする彼女の身振りはなく、あくまで主役は”小さな生”のほうにある。そのことがただただよかった。それだけでいいんじゃないかって思った。

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後記:
先鋭的なものを追求する表現も確かに一方にはあるけれど、なんというか、「ただそれだけでよかった」って感じることも、おんなじように価値があることだって素直に思えたのね。ものすごく個人的なことだけど。たぶんそれが書いておきたいって思ってた宿題だったんだと思う。

「地上の花、天上の色」展は、東京での開催は終了してるけど4月から全国4ヵ所で巡回が始まるそうです。お近くの方はどうぞ(ココ)。あと展示風景の一部がこちらでみれます(ココ)。



※とりあえずかしゆかはいなかった

*1:Noir」はフランス語で「黒」の意味。