思いついた三項対立―Perfumeを巡って


前のエントリーがアレな上に、なんとも怪しげなタイトルですが、1年位前の授業中に思いついて、その割には頭のなかを整理するときに知らず知らずのうちに参照することが多い図式だったので、いちどどこかで触れようと思っていた話です。もともとの図は、「乳児期初期の三項関係の結び方」という内容で、実に素朴で簡略的です。ここまで素朴だからこそ、僕はこの3つの関係を「”作品”を介したコミュニケーションの様態」の大枠の整理として、汎用できるんじゃないかなーと考えてました。


そしてこの三項対立とPerfumeについてちょっと書いてみます。



以下の説明は、僕が考えたものです。

(A)並ぶ関係
「作品」を遠くにみて、隣り合う誰かと語り合う関係。鑑賞する関係。
私と他者は180°の位置に並び、同じ位置から遠くを見る。
最も負荷がかかるのは「作品」。その自律性。
例:絵画や楽曲など。

(B)提示の関係
私と他者は90°の位置で対峙する。
「作品」と他者は同じ位置にあり、私は一方向的に「作品」を受け取る。
最も負荷がかかるのは「他者」
例:演劇、プロレス、アイドルなど。

(C)やりとりの関係
私と他者は、空間的な位置関係よりも対話的空間を構成する。
最も負荷がかかるのは「やりとりをすること」
例:現代アート的なもの(?)


あるひとつの「作品」があったとして、それと「私」が取り結ぶ関係は、ここで分けたいずれかの関係によってのみ結びついているのではなく、実際にはこの3つの関係が「濃淡をもって」配合されているんだと思う。しかもその配合の具合は、作品の側の性質に加えて、「私」が他者と関係する場合に基盤としやすい(選びやすい/心地がいい)関係の持ち方によって、大きく変化する。


どの関係を基盤にするかは、優劣による選択というよりも、それがその人にとっていかに自然で「心地がいい」かによる。このことはポイントになるかもしれません。他者と関係を取り結ぶやり方には、その人にとって一番自然で心地のよいやり方があるということ。


作品について(大袈裟であればたとえば映画を観た後)の感想を誰かと話したりするときに、見ているところや感想の切り口が違いすぎてほとんど理解できなかったり、またそのことで嫌悪感を抱いてしまうときに、とりあえず僕はこの大ざっぱな図式を思い浮かべるようにしています。

Perfumeを好きになる過程

ライブに集まるお客さんやPerfumeに言及する人々を見てもわかるように、Perfumeのファン層は実にカオティックで、ふだん出会わないような趣味の島宇宙が一堂に会しているという状況です。Perfumeを「現象」としてみたときに面白いのはおそらくこの点で、何かもうわけがわからないまま、多くの人を巻き込んで前に進んでいくPerfumeの力って何なんだろうという面白さがある。


じゃあ、上に書いたこの三項対立からみると、Perfumeという「現象」はどんなふうに見えるのか。もう何となく言いたいことはわかったと思うんですが、Perfumeはどの関係に基盤を置いている人にとっても、それぞれに最適なフックがあるということです。(A)であれば楽曲そのもの、(B)であればアイドルとしての彼女たちの魅力、(C)であれば・・・うう何だろう、Perfumeについて何かを語ること=「現象」としての興味ということになるのかもしれません。


そしてもっと面白くて重要なことは、Perfumeを好きになるに従って、入口になった関係から別の関係へ興味をもつようになること、またそのシフトが容易に起こるということだと思う。僕自身の場合もそうだったんですが、たとえば入口として(A)の楽曲に魅かれて入ったはずが、まさか自分がハマるなんて思ってもみなかった(B)のアイドルとしての彼女たちの魅力にやられて、限りなく無限大に近い遥か彼方にまで旅立ってしまう(さらば!)ということが起こる。Perfumeで「初めてアイドルにハマった」という人も多いんじゃないでしょうか。


たとえば(A)から(B)へ興味をもつことは、少しだけ「もうすでに」自分が変化してしまったということだと思うんですよ。そしてすこし変化した位置から元々いた位置を眺めれば、それもまた違ったふうに見えてくる。アイドルとしての魅力に触れることで、スウィート・ドーナッツやおいしいレシピなどのインディーズ時代の楽曲もふつうに「(・∀・)イイ!!」と思って聴けるようになったりする。*1そして(C)への興味は、握手会などでの彼女たち本人とのやり取りやライブでのレスだったり、ファン同士のコミュニケーション(はてなとかmixiとかニコ動とか反省会etc)だったりするかもしれない。


いずれにしても、自分の変化に気づき、変化した位置から再びPerfumeに目を向けることで、そこにまた別の魅力を見つけていく。Perfumeを好きになりハマっていく過程は、この三項対立を渡り歩くことによって、そういった差異を見つけていく=生み出していく過程だというふうに考えることができるかもしれません(もちろんそれがすべてだとは思わないけど)。逆に言えば、この三項対立のいずれかの立場に何らかの理由で固執するなら、このダイナミックな過程は進行しなくなり、どこかで足を止めてしまうことになるのかもしれません。

Perfumeを巡るファン層を三項対立から考える

さて、今回は思いついた三項対立を、「Perfumeを好きになる過程」として考えてみたんですけど、もう一方で、某掲示板で何度となく繰り返される「おまえ何系だよ?」*2(ex.音楽ファンvsアイドル好き)的なやりとりを、この三項対立の視点から捉え直すこともできるんじゃないかと思いました。


「キモヲタ」「自称音楽好き」「おしゃれサブカル」「古参」「新参」「アイマスヲタ」「一般人」etc・・・というような、趣味と価値の優劣の重みがついた「言葉」による区分けそのものや、区分けによる対立を、コミュニケーションの様態の違いという視点から見るなら、それぞれどんなふうに見えてくるか。繰り返しますが、この三項対立には違いがあるだけで優劣はありません。「それぞれの楽しみ方で楽しむ」ということの意味も、また違ったふうに見えてくるかもしれません。これはそれぞれの感覚で考えてみて欲しいところです。


かしゆかやのっちやあ〜ちゃんから離れて、こんなふうに「Perfumeという現象」について何か書こうとするのは実はあんまり本意ではありません。僕はとりあえず「かしゆかかわいいよかしゆか(*’▽’)」とか言っていたい。


でも、id:matekoi:20070708やid:matekoi:20070711の記事を読んで、その内容面については、強制や慣習化は起こりそうもないと判断していたり、アイマスMADについては感情面では個人的に特に何も思うことがなかったりする一方で、再生数が10万を超えるという現象それ自体は面白いと思っていたりで、うまく反応することはできなかったんですけど(さすがにライブドアの記事はヒドいと思いましたが)、なによりPerfumeの将来についてこんなに熱くなれるっていうことが、いちPerfumeファンとして悔しくて、何か僕なりに書けることを書こうと思って書きました。時間は経ちましたが、何かしら反応しておきたかったので。


*1:余談だけど、(A)から(B)へのシフトの容易さには「ダンス」の魅力がフックになっていると思う。自然と彼女たち自身に目が向くようになるから。

*2:揶揄として秀逸