「彼方からの手紙」とりとめなく

■なんだか学校の特別講義を受けてるあいだにいつの間にか時間が過ぎていて、いまちょうど1週間前に時間が戻ったみたいな感覚でいる。明日早く起きて横浜まで「彼方からの手紙」を観にいかなきゃとか思ってる。そういえば、あの映画の冒頭シーンで勾配の急な坂道とその途中に立つ一軒家の映像を見たときに、「あ、横浜だ」と思った。ランドマークになるような建物を見たわけではないのだけれど、瞬時にそう思った。勾配に沿った住居の連なりや、植物の散らばり方、建物の種類や、空の反射等々、要素に分けていけば「ああそうねー」と思い当たる節に出くわすかもしれない。でもそれよりもずっと早くに「一気に」「ああ横浜なんだ」と思ったことが面白かった。

■ぼくの大好きな勾配の町の風景がある映画「いつか読書する日」の冒頭シーンも思えばこんな街の風景だったけれど、そのときは「あ、横浜だ」とは思わず、かわりにタイトルがでるまでの開始5分の間に涙がぽろぽろでてきて困った。おそらく高野文子「美しき町」のあの見開きの勾配の風景のことも頭の片隅にあったんだと思う。

■赤いニット帽。ユーモアの感覚。夜の首都高を走る車の窓から見えるものをユキはひとつひとつ片っ端から言っていく。看板、お店の名前、ティファニー、でっかいトラック。映画は平面の連なりで出来ていて映画には映画の時間がある。このとき東京タワーは見えているけれど、映画の時間ではおそらくもうどこへ向かっているのかわからなくなっている。「東京タワーをすぎる急カーブを曲がり あっいうま海が見えりゃ 気分も晴れるでしょう」(小沢健二)。

葛西臨海公園の観覧車から見るお台場の観覧車もピカピカ光っている。観覧車に乗っているあいだユキはおしっこを我慢していて降りると同時にトイレに駆けていく。吉永がユキのトイレを待っていると、木下美紗都がギターの弾き語りをしていた。とても印象的な歌詞だったんだけどぜんぜん覚えてなくて、「力学で」というフレーズだけが頭に残っているのだけど、この歌を六本木スーパーデラックスで初めて聴いたときも同じフレーズだけ覚えていて、「力学」という言葉から新木場の先にある白い大きな風力発電用の風車を思い浮かべていた。というか葛西臨海公園は少し前まで最寄り駅で、夜とか仕事から帰ってきて自転車でフラーっと海を見にいったりすることもあって、海辺に座って「海 東京 さよなら」を1周するまで聴いていたこともあった。あの場所からは、おもちゃみたいな東京タワーが見える。

■ユキはオセロの勝負で「ずる」をしなかった。ふかふかの猫がころがっていたのと同じふかふかのカーペットの下から、「ずる」をしようとしてしなかったオセロのコマが見つかる。

■吉永は店員の出てこないコンビニにいるとき、盗もうとしたのに盗まなかった。誰も見ていない河川敷でポイ捨てしたタバコを力いっぱい踏み潰したのに、ケータイ灰皿に入れてもって帰った。ユキに対しても同じように手を差し出した。ユキもせいいっぱい引き寄せた。何によって?他者への「配慮」によって。

■映画の終わりにも勾配の風景が出てくる。ユキは見下ろし、吉永は見上げる。もう記憶があやふやなのだけど、何年か前に一度きりみた河瀬直美沙羅双樹」の終わりはもっと俯瞰するような街の風景で終わっていたかもしれない。ということをいま急に思い出した。というかこんなとりとめのない長文をいったい誰が読んでくれるのか。まあいいか。もう一回観にいきたい。「彼方からの手紙」。「あなたは私たちを憶えているでしょうか」。