『眼と太陽』より

そりゃそうだよな、この女にだって父親がいた、しかもそれは背の高い父親だった。トーリの娘や、トーリじしんと同じような子供時代が、冷静な頭で考える時間軸上の遡及とはまったく別のところに、動かしがたく在る。改めて考えるまでもなく、そんなことは当たり前じゃあないか!あの教会の向かいのカフェで会った、エンジ色のブラウスの女もいっていたじゃないか、世界中のどんな人間だって、人生の時間の一分、一分をかけて、今日という日に到達したのだと。

ふと私の父も何十年か前にこのレストランに立ち寄り、一人で食事をしたことがあるはずだ、というほとんど確信に近い思いに襲われた。父も私と同じ勤め人だったが、仕事でニューヨークへ行ったなどという話はいちども聞いたことがない。にもかかわらず、このレストランの、私が座っているまさに同じこの椅子にかつて父も座ったという考えが纏わり付いて離れなかった。

昨夜から読み始めた。相変わらず面白い。


眼と太陽

眼と太陽

肝心の子供

肝心の子供